大正 | 15年 | 2月 | 初代社長 津田市松氏、合名会社津田市松商店として米穀卸売業を営む。 |
昭和 | 16年 | 3月 | 戦時態勢による米穀統制のため主業休止。 |
22年 | 4月 | 津田市松名義で主要食糧集荷業の免許を受け、米穀の集荷業を営む。 | |
26年 | 3月 | 津田物産株式会社を大阪市内に設立、農産物の卸売業及びアルコール原料の取扱いを行う。 | |
34年 | 2月 | 本社所在地に営業低温倉庫を建設、倉庫業の許可及び政府指定倉庫の許可を受け倉庫業に進出する。 | |
38年 | 4月 | 倉庫証券発行許可。大阪穀物取引所・神戸穀物取引所の指定を受ける。(現:関西商品取引所) | |
39年 | 3月 | 東大阪市鴻池徳庵町に河内営業所を新設、営業倉庫の拡張を図る。 | |
5月 | 本社所在地に日産搗精能力50トンの精米工場を建設、政府契約搗精工場の指定を受ける。 | ||
44年 | 5月 | 代表取締役社長 津田市松氏死去により山口庄三郎、社長に就任。 | |
6月 | 醸造原料、原材料、主食等の自主流通米制度により集中精米に対処するため精米工場を近代化し技術革新と品質向上を図る。日産75トン。 | ||
8月 | 放出倉庫鉄筋コンクリート造2階建建設(延864㎡)。 | ||
9月 | 自主流通米制度発足と同時に全農に対して各酒造会社の買付代行業務を行う。 | ||
45年 | 9月 | 酒造用精米機6台設置(日産能力20トン)、酒造用米穀の搗精を行う。 | |
47年 | 5月 | 津田圭一、代表取締役社長に就任。山口庄三郎、取締役会長に就任。 | |
49年 | 9月 | 酒造用精米機6台増設し、酒造用米穀の搗精を拡張す。 | |
50年 | 9月 | 本社事務所を新築。 | |
53年 | 8月 | 河内営業所廃止。 | |
9月 | 大東営業所を開設。大東倉庫として営業倉庫及び主食・酒米・原材料各精米設備を移転及び増設。 | ||
57年 | 8月 | 主食用精米工場の増設。 | |
58年 | 8月 | 屑玄米精選機増設。 | |
63年 | 9月 | 大東倉庫増設。営業許可受ける。 | |
10月 | 主食精米工場・設備を新設。酒造用精米工場・設備を新設。 | ||
11月 | 放出倉庫を廃止。大東営業所を大東流通センターと改名して整備。 | ||
平成 | 元年 | 3月 | 大東流通センターの設備完成。 |
2年 | 4月 | 大阪府米穀卸売販売業の許可を受ける。 | |
3年 | 8月 | 京都府米穀卸売り販売業の許可。兵庫県米穀卸売販売業の許可。奈良県米穀卸売販売業の許可を受ける。 | |
6年 | 3月 | 主食用第二精米工場を新設。 | |
6月 | 主食用第一精米工場設備増設。 | ||
7年 | 2月 | 和歌山県米穀卸売販売業の許可を受ける。 | |
6月 | 津田圭一、代表取締役会長に就任。谷 浩、代表取締役社長に就任。 | ||
12年 | 4月 | 不動産賃貸業に進出。岩手経済連と合弁会社「産地精米(株)」を設立。 | |
13年 | 6月 | 谷 浩、代表取締役会長に就任。奥 吉治、代表取締役社長に就任。 | |
12月 | 無洗米(BG)工場を新設 | ||
14年 | 7月 | ライスフレンド株式会社設立。奥 吉治、代表取締役社長に就任。 | |
16年 | 5月 | ミニプラントを新設。 | |
17年 | 6月 | 谷 浩、取締役相談役に就任。 | |
19年 | 6月 | 東山忠雄、ライスフレンド株式会社代表取締役社長に就任。 | |
22年 | 4月 | 加工用米の取扱いを開始する。 | |
24年 | 7月 | 主食精米ライン増設。 | |
26年 | 6月 | 塩飽 豊弘、産地精米株式会社代表取締役社長に就任。 | |
27年 | 9月 | 主食精米ライン増強。 | |
28年 | 4月 | 本社事務所を放出東に新築。 | |
令和 | 元年 | 5月 | 奥吉治、津田物産株式会社代表取締役会長に就任。 黒川悦春、津田物産株式会社代表取締役社長に就任。 池嶋忠志、ライスフレンド株式会社代表取締役社長に就任。 奥本光則、産地精米株式会社代表取締役社長に就任。 |
2年 | 5月 | 黒川悦春、産地精米株式会社代表取締役社長に就任。 |